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名古屋高等裁判所 昭和28年(う)1285号 判決 1954年10月28日

被告人 稲垣信太郎

弁護人 中根稔

検察官 小宮益太郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役参年に処する。

原審における未決勾留日数中、百八十日を右本刑に算入する。

訴訟費用中、原審において証人高村康吉、同谷沢いく、同吉松綾子、同稲垣輝夫、同高須周治、同星野博、同近藤和夫に支給した分並に当審訴訟費用は、被告人の単独負担とし、原審証人神尾久一、同加藤勲、同前田甚一、同前田佐一、同中根とう、同岡田ヒサ子、同中根好雄、同中根アキノ、同倉地一範、同保田ふさに支給した分は、被告人と原審相被告人岡田衛三郎との平等負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中根稔及び被告人の各控訴趣意書を引用する。

弁護人の論旨第二点について、

(1)  被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書は、強制拷問に基くものであるから任意性がないと謂う点について案ずるに、被告人が取調を受けた碧海地区警察署で、強制拷問を受けたかどうかについて、被告人は、原審公判廷及び当審でこの旨供述し、当審証人黄継雄、同浅井重信、同吉松綾子、同土井喜市、同稲垣輝夫、同岡田衛三郎の各証言は、これについての一応の証拠とされているが、右の各証言は、何れも、被告人が司法警察員から拷問を受けたのを直接見たり聞いたりしたものでなく、被告人から聞いたことや又は自己も被疑者又は被告人として取り調べを受けたときひどい目にあつたというにあつて、而かも右各証人は、被告人と親子関係その他近親関係にあるか又は刑事被告人として有罪とされた者で、確実な根拠に基いて供述するのでなく、被告人の供述や主張を聞いて取り次ぐ程度のものに過ぎないから、証明力に乏しいものと謂わねばならない。又被告人が前記警察署から岡崎刑務支所に移監されてからも、被告人が司法警察員から加えられた暴行で受けた傷が額に残存していたと当審証人吉松綾子、同土井喜市、同稲垣輝夫、同稲垣誠が証言しているが、被告人が逮捕されたのは、昭和二十七年十二月二十四日午前七時二十分頃であり、岡崎刑務支所に移監されたのは、昭和二十八年一月八日であることは、当審において取り調べた逮捕状謄本(詐欺被疑事実により昭和二十七年十二月二十四日午前七時二十分執行)名古屋拘置所長の検察官宛の回答書及び前掲各証人の証言により明らかである。右証人の中には、昭和二十八年一月末頃、被告人の額の傷を見たと言つたり同年三月初頃見たと証言し、その証言の内容を検討するときは、同年一月又は二月に見たというのは、記憶違いであることが判明して居り、而かも早く見た者もおそく見た者も、傷は、長さ一糎か一、五糎位、幅五粍位の擦り傷で、かさぶたができていたと供述しているが、原審第一回公判期日である昭和二十八年一月二十九日には、この傷に裁判官、検察官、弁護人並に被告人の家族である前掲証人の一部は、親しく被告人に而接していたにも拘らず、傷の存在を覚知して居らず、更に岡崎刑務支所に移監の際、被告人の身体検査をしたとき、右のような傷が存在していなかつたことは被告人の身上調査表によつて明らかであるから、被告人が司法警察員によつて額に傷を加えられたとか又はその後勾留中に暴行を受けて負傷したという事実はなかつたものと認めざるを得ない。前記各証言は信用することができないもので、これ等の証言によつて、被告人が拷問を受けたということは証明することができない。次に被告人の司法警察員第一回供述調書は、昭和二十七年十二月二十五日作成せられて居り、本件により被告人の逮捕状の執行されたのは、昭和二十七年十二月二十五日午後七時であることは、本件の逮捕状によつて明らかであるから、これ等の点から見れば、右供述調書の作成に疑問を持ち得るかも知れないが、前記の如く、被告人は、詐欺被疑事実により、昭和二十七年十二月二十四日午前七時二十分に逮捕され、本件により逮捕されるまで、前掲警察署に留置されていたことが認められるから、前記の十二月二十五日附の供述調書作成の疑問は氷解し、この調書作成に違法があつたとは認められない。而して、被告人の取調を担当した司法警察員を原審及び当審で、証人として取り調べた結果、前記警察署で、強制拷問があつたことを疑うに足る事実を認めることができない。又被告人が検察官の面前においても、警察署で暴行を受けることを怖れて、不利益な供述をしたことを認めることもできない。右の如く、被告人の公判廷における供述又は被告人から聞いた結果を証言する前記証人の証言は、何れも、被告人が公判廷において、供述調書の証拠能力を争う手段として為す弁解に過ぎないもので、採用することができない。果して然らば、被告人の供述調書は任意性があり、これを証拠としても、憲法第三十八条第二項、刑事訴訟法第三百十九条に違反するものではない。この点についての論旨は、理由がない。

(2)  原審相被告人岡田衛三郎の供述調書又は公判廷における供述は証明力がないという論旨について、

原審相被告人岡田衛三郎は、原判決で、心神耗弱者と認定され、これが確定しているが、心神耗弱者の証言又は供述でも証拠能力があり、その証明力は、裁判所又は裁判官の自由心証によるものであるから、原審がこれを証拠としたことについて何等の違法もなく、岡田の供述がしばしば変つているが、原判決挙示の裏付の証拠によつて、岡田の証言又は供述が全部信用できないということはできない。論旨は、理由がない。

(3)  原判決は、被告人の自白又は原審相被告人岡田衛三郎の自白を唯一の証拠として有罪の認定をしたという論旨について、

共同被告人の自白又は供述を他の被告人の不利益な証拠とすることは違法ではない。被告人を公判廷で、尋問することは許されないにしても、質問をして、任意の供述を求め得るものであつて、この供述は、共同被告人にとつて有利であると不利益であるとを問わず、証拠とすることができるものである。但し、共同被告人の自白が唯一の証拠であるときは、刑事訴訟法第三百十九条により、その共同被告人はもとより、他の被告人も有罪と為し得ないものと解すべきであるが、本件においては、原審相被告人岡田の自白と被告人の自白があつて、互に補強しあつているばかりでなく、他に補強証拠も存在しているから、自白を唯一の証拠として有罪の認定をした違法はない。論旨は、理由がない。

弁護人の論旨第一点の事実誤認の論旨並に被告人の論旨について、

被告人が司法警察員又は検察官の面前で、不利益な供述をしたのは、強制拷問に基くという論旨については、前掲説明の通り理由がないこと明らかであるから、これを引用する。

然れども、原判決は、被告人に対する強盗致死の犯罪事実として、岡田と共犯関係にあるという理由として、岡田が被害者中根浅市を殺害するため実行行為に出でた後、「岡田と意思相通じてこれを傍観助勢し」と認定している。共同正犯となるためには、犯罪の実行行為前に、意思相通じて、犯罪を共同加工する意思があることを要するものであつて、他人の犯罪行為を傍観していただけでは、必ずしも共犯者ということはできない。この点において、原判決は、理由不備の違法があつて、破棄を免れない。

よつて当審において原判決破棄を前提として被告人が強盗致死の犯罪について、共謀の事実があつたかどうかについて検討するに、被告人の司法警察員第五回、第六回供述調書、岡田衛三郎の司法警察員第四、第五回、第七回供述調書の中には十二月十日右両名が浅市方へ行く途中浅市が金を出さんときは殺しても取つてくると相談したとか本件現場で稲垣が伏臥せる浅市の後頭部を一升桝で二回殴つたとかあり被告人も岡田と協力して、中根浅市を殺害した旨の供述があるが、被告人及び岡田衛三郎の司法警察員及び検察官に対する各供述調書及び当審証人岡田衛三郎の証言、原判決挙示の証拠を綜合すれば、前記の如き被告人と岡田の事前の共謀及被告人の積極的な協同行為は認められない(原審もその事実摘示によれば同一の結論に出たものの如くである)が被告人は、岡田と共に、昭和二十七年十二月九日の夜、及び同月十日の夜も、中根浅市方に行つて居り、十日の夜は、被告人は、表入口まで行き、岡田が浅市と岡田の妻ヒサ子の貯金通帳引渡について交渉するのを待つていたところ、岡田は、浅市と右通帳の引渡を要求している中、口論となり、遂に激昂して、浅市と互に格闘するようになつて、強盗目的の下に原判示の通り浅市を死に致らしめたけれども、被告人は、其間表入口外にいたにとどまり、岡田に協力したり、声援したりしなかつたことが認められる。岡田に対し、予め、しつかりやれと激励した事実は、認められるが、これは、岡田ヒサ子の貯金通帳引渡の交渉をしつかりやれという趣旨にもとれるので、これだけでは、強盗を共謀したとは認められない。

被告人は、原審並に当審において昭和二十七年十二月九日も同月十日も、中根浅市方に行かぬといつているが、当審証人岡田衛三郎の証言並に被告人及び岡田衛三郎の各供述調書によつて、中根浅市方に右両日共に行つたことが認められ、且つ浅市が死亡後、岡田と共に浅市方のタンスの中やら浅市の胴巻を物色して、二人で合計現金約五千円を取つて来たことが認められ、被告人が、十二月九日、岡田と連れ立つて浅市方に行つたことは、原審証人神尾久一、同加藤勲の証言により、右証人等が岡田と被告人に浅市方の居村の少し手前で出遭つたことが認められることにより明らかである。この点についての原審並に当審証人稲垣輝夫の証言は、信用できない。然れども、原判決挙示の証拠を綜合するも、被告人が、岡田と強盗について共謀した事実又はこれを助勢した事実は認め難く、従つて、被告人が岡田衛三郎の強盗致死行為を傍観していたことがあつても、被告人において、強盗又は同致死罪の犯意があつたとは認められない。従つて、中根浅市が昏倒又は死亡した後、被告人が浅市方のタンスの中を物色したり又は浅市の胴巻を物色して現金を取り出しても、この被告人の行為は、窃盗罪に該当するに過ぎない。或は刑法第二百三十九条の昏酔強盗に該当するのではないかとの疑問があるかも知れないが、浅市が昏酔又は死亡したことは明らかであるけれども、これは被告人の責任ある行為に出でたものでないので、被告人に昏酔強盗の責任を負わすわけにはいかない。昏酔強盗が成立するためには、強盗犯人自らが被害者を昏酔せしめることが必要であつて、他人が昏酔せしめていたり又は被害者自らが昏酔又は熟睡している間に、被害者の財物を奪取しても強盗罪とはならない。これは単純窃盗であるに過ぎない。従つて、被告人の本件行為は、結果から見れば、岡田衛三郎の強盗致死罪の行為の一部に協力したことになるが、被告人に強盗の犯意がなかつたから、被告人については、軽い窃盗の罪によつて処断すべきものである。以上の通り原判決が、被告人を強盗致死罪と認定したのは、理由不備及び事実誤認がある。論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第三百七十八条第四号第三百八十二条により、原判決を破棄し、同法第四百条但書により、次の通り判決する。

原判決挙示の証拠と当審証人岡田衛三郎の尋問調書とにより、次の犯罪事実を認定する。

被告人稲垣信太郎は、原審相被告人岡田衛三郎が愛知県碧海郡上郷村大字中和会宇田端四十番地居住の中根浅市の三女ヒサ子と婚姻するに際し、その媒酌人であつて、岡田から、ヒサ子が婚姻前の折衝に当つたこともあるが、昭和二十七年十二月十日夜、岡田から、更に浅市に交渉するにつき同行を求められ、これを承諾し、同夜、岡田と共に前記浅市方に到り、被告人は、同家表入口外附近に待合せ、岡田独りで、浅市と交渉中口論となり、岡田は、奮激の余り、強盗目的の下に浅市方の土間にあつた藁打用木槌(証第二号)で、浅市の頭部を数回に亘つて強打し、浅市をその場に昏倒せしめ、間もなく死亡するにいたらしめたのであるが、被告人は、岡田の右暴行又は被害行為を共謀したこともなく、又これを助勢したこともないが、浅市が昏倒死亡した後、其場に於て岡田と共に、浅市が着していた現金数千円在中の胴巻一個を窃取したものである。

法律に照すに、被告人の右所為は、犯罪の結果から見れば、刑法第二百四十条後段の強盗致死罪に該当するが、被告人は、強盗及び致死の行為については、犯意がなかつたから、刑法第二百三十五条第六十条の窃盗罪によつて処断すべきものであつて、その刑期範囲内で、被告人を懲役三年に処し、原審における未決勾留日数中、百八十日は、刑法第二十一条により、右本刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法第百八十一条を適用して、主文掲記の通り負担させる。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 高城運七 判事 柳沢節夫 判事 赤間鎮雄)

弁護人中根稔の控訴趣意

第一点原審判決は事実の誤認があつて判決に影響を及ぼすことが明かであるから破棄を免れない。即ち原審は判決の理由に於て昭和二十七年十二月十日被告人が岡田衛三郎より中根浅市の三女久子が結婚前中根浅市に預けてある金の返還方の折衝に行くに当つてその同行方依頼を受け、之を承諾の上同日午後九時頃岡田と共に前記浅市方に到り衛三郎が藁打用木槌を以て浅市の頭部を数回に亘り殴打するに到りたる際、右岡田と意思相通じて之を傍観助勢したるのみならず、遂に浅市が瀕死の重傷を負つて同家土間に昏倒するや、更に岡田と共に浅市が着していた現金約五千円在中の胴巻一個を強取した上、浅市をして同日午後十二時頃同所に於て死亡するに到らしめたと云う事実を認定して被告人に有罪の判決を下したのであるが、右は事実誤認の甚しきものである。

原審に於て証人稲垣輝夫の証言によれば昭和二十七年十二月十日は弁護人の、三八、家に帰つたのは何時頃か、との問に対し、午後八時頃に帰つたと思う家に帰つたら父や妹達は食事がすんでいたので私一人で食事をした、と答え又、四一、証人が帰つた時父は家にいたか、との問に対し、いたので買つてきたハンダを渡した、と答え四二、其晩は何時頃床に入つたか、との問に対し、私は映画の説明を妹達にして九時頃まで起きていた父は私より先に床に入つた、と答え、四三、其の晩父が寝ついたのを確めたか、との問に対し、確に睡つておつた、と答え右証言により被告人は当日中根浅市方へは行かなかつたことが証明される。又検察官提出の昭和二十八年一月七日の稲垣輝夫の供述調書中にも昨年の十二月になつてから衛三郎が被告人方へ来た記憶がないと述べている。

原審が岡田と共に被告人が中根浅市方へ赴いて本件犯罪を行つたと認定したのは事実誤認の甚しきものと云はねばならない。原審に於て被告人の強盗致死の事実を認定した証拠は、一、岡田衛三郎の第一回並びに第七回、第八回原審公判廷における供述、二、被告人稲垣信太郎に対する司法警察員作成の昭和二十七年十二月二十五日附第一回、同月二十六日附第二回、第三回、同月二十九日附第五回、同月三十日附第六回供述調書並びに検察官作成の昭和二十七年十二月二十七日附弁解録取書、であるが岡田衛三郎は鑑定人岡本重一の鑑定によると明に精神病者であつて嘘言癖のあるもので同鑑定書によれば「同人が屡々嘘言を弄し兇行に関しても屡々供述を変え或は忘れたと言を濁ししかも再三先生何もかも言つてしまいます本当のことを言ちやおう等と姿勢を正し改つた様子で供述を変更し乍ら中途で嘘言であることを暴露し或は次回に嘘だつたと訂正をする之等嘘言は殆ど無計画に行われ慾動的、当意即答的なものが多い」ことが認められる。従て岡田衛三郎の言うたことを採用したのは証明力のないものを証拠として採用し判断したのである。又被告人の警察に於ける供述調書は警察に於ける強制、拷問又は脅迫による自白であつて任意性と真実性がない。昭和二十七年十二月九日には明かに被告人が岡田と一緒に浅市方を訪れてないのに、第一回供述調書に十二月九日の午後九時頃衛三郎が被告人方へ来て衛三郎と同行したとか、十二月十日浅市方のタンスの下から三つ目位の大抽斗を開けて見ると引出した手前真中頃の着物の上に百円紙幣がバラでタタマズに十枚位ありましたので夫れを持つて出て来ましたとか述べ、第五回供述調書中には、衛公と二人で抽斗を引き出してさばきました着物の外に何にもありませんでした、夫れから私が仏壇の引出しを開けて見ましたが現金はありませんでしたと述べている等を綜合すると頗る任意性と真実性に乏しい自白と云はねばならない。検察官作成の弁解録取書は尚検察官の面前外に於て警察から警察に於ける供述を変更するとひどい目に会すぞとの脅迫により虚偽の陳述をなしたもので任意性がない、検察官に調べられたのは警察に於ける調べの直後であつて、被告人が混乱其の極に達しているときの供述であつて任意性がない。

被告人が警察に於て拷問を受けた事実は第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつた証人土井喜市、吉松綾子、稲垣誠、稲垣輝夫によつて証明することができる。原審に於て右取調べを請求することができなかつたのは右四人の者が第一審判決後に始めて弁護人に陳述したものであつて刑事訴訟法第三百八十二条の二に規定するやむを得ない事由によつて第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつた証拠に該当する。添附書類土井喜市、吉松綾子、稲垣輝夫の陳述した書面並に弁護人の上申書を以てその事実を疎明する。

斯る証拠で被告人の有罪を認定したのは事実誤認の甚しきものがある。依て原判決は犯罪の証明なきものとして破棄し無罪の御判決を求める。

第二点原審判決は訴訟手続に法令の違反があつてその違反が判決に影響を及ぼすことが明であるから破棄を免れない。(イ)原審が残虐なる拷問並びに脅迫である自白をその儘証拠とした点は憲法第三十八条第二項に違反している。警察に於ける被告人の自白及び検察官の面前に於ける自白は被告人の述べているが如く残虐なる拷問並に脅迫によるもので原審が之を証拠としているのは正しく憲法違反である。(ロ)任意にされたものでない疑のある自白を証拠としている原審判決は刑事訴訟法第三百十九条に違反している。原審に於ける証人高須周治、星野博、近藤和夫の証人尋問調書によると被告人は最初犯罪事実と認めなかつたことは明である。又弁護人の問に対し高須証人は、本当の事を言えといつた事はあります、と述べ星野証人は、調べ中稲垣に本当のことを言えと云つたことがありますかとの問に対し、そういう事を言つたかも知れません、と述べ近藤証人は、本当の事を言つてくれと言つたことがありますか、との問に対し、そういう事は言つたと思います、と夫々答えている。即ち被告人は犯行を否定していたことが分る。それを警察官が自白を強要したのである。全く任意になされたものでない疑は充分である。況んや既に述べてあるが如く被告人は警察に於て残虐なる拷問脅迫を受けた事実がある。仍て原審が警察に於ける調書、検察官の弁解録取書を証拠としたのは全く法令違反である。(ハ)原審は刑事訴訟法第三百十九条第二項の規定に違反している。即ち被告人は公判廷に於ける自白であると否とを問はずその自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合は有罪とされないのであるが原審の事実認定はこの自白を唯一の証拠としている違法がある。原審に於ける共同被告人たる岡田衛三郎の供述は之れを稲垣被告人に対する不利益な証拠とすることは出来ない。我が刑事訴訟法の下においては共同被告人の一方(甲)の公判に於ける供述は共同被告人の他方(乙)に対する不利益な証拠とすることは出来ない。弁論を分離し甲を証人として尋問しない限り甲の公判に於ける供述は乙に対する不利益な証拠になり得ない、何んとなれば甲が被告人たる地位に於て供述する場合はその供述は任意の供述であり甲はいつでも黙秘権を行使し得るので乙は甲に対する反対尋問権を有しない。共同被告人は相互に供述を求めることができるけれどもそれは法律上の反対尋問権の行使ではない。従て原審は被告人の自白を唯一の証拠としている。(ニ)原審は証明力のない岡田衛三郎の原審公判廷に於ける供述を証拠としている違法がある。岡田衛三郎が精神病者であつて而かも嘘言癖のあることは前述の通りである。従て岡田衛三郎の供述等は全く証明力がない。右岡田衛三郎の原審公判廷に於ける供述を証拠としているのは証拠の法則、経験則を無視し条理に違反したものである。

以上の理由により原審判決は事実の誤認があり、訴訟手続に法令の違反があつて判決に影響を及ぼすことが明であるから之を破棄して被告人に対し無罪の御判決を求める。

被告人稲垣信太郎の控訴趣意

私は昭和二十七年十二月九日隣家の高村錠さんの葬式の手伝に行きました。夜の八時半頃に一同と共に散会しました。酒によいまして苦しいのですぐに寝ました。よく朝迄何処へも行きませんでした。十二月十日には灰葬にお詣りするに付中和会の私の長男幸信の処へ午前九時頃服とヅボンを借りに行きました。午前十一時頃より灰葬に参列しました。午後一時頃帰宅して少し仕事を致しました。午後三時頃灰葬七日にお詣して四時半頃帰宅し中和会谷沢敏男さん方へポンプの口と米入器のフタの修理した物を持参し工賃がわりにヤサイ物を貰らいました。長男の処へ服を返す可持参しましたが暗くなりましたので寄らずに家へかえりました。三男輝夫は当日映画を見に行きまして午後八時帰りました。輝夫の夕食後私は次女トシエと明朝の食事の仕度をしてラジオを聞き乍ら寝床へ入つたのが九時か十時頃であります。四畳一間で一同が寝るのです。輝夫は早く寝ましたが他の子供三名は騒いでいてなかなかねつきませぬ様でしたが私は寝付いて朝迄目をさます事がありません。私の処へは其晩も誰れも尋ねて来ませぬ。お信じ出来なかつたら是非子供達をお調べ下さい。

十一日は村内の谷沢材木店へ残りの仕事に行きました其後毎日家業に従事して居ました。十五、六日の朝食事中にラジオニュースで浅市さんの殺された事を知りました。其朝の新聞の夕刊でも知りました。其日午後一時頃岡田衛三郎が仕事のかへりに寄りまして浅市さんが殺されたのでお寺でお経をあげると申しましたから夫れはよい事だと私は申しました。いつも私の処へくれば二時間位い話をして行くのですが其日は腰もかけずにしてソワソワして居りました。新聞では戸を近所の人があかなくてこじあけたとしてあつたが誰か勝手を知つた者のしわざではないかと私が申しましたら雨戸から出入が出来ると申しました。十二月二十四日私は碧海地区署へ連れて行かれました。お前は衛三郎と二人で浅市さんを殺したに相違ないと言うて調べられましたが私は全然身にオボエがないので否認致しましたら星野と近藤の二名の刑事が刑事部屋でナグツタリケツタリしました其上鉄砲をしよわせると申して腕をセナカヘネジ上げて綱で縛り横面をナグりました。私は鉄砲をシヨウと言う事を始めて知りました。祖父江刑事が来ましてホドイテやれと申しましたのでホドイテくれましたが又すぐ鉄砲をシヨワセました。又中和会の富さんと言う人が拷問の処をのぞいたので高須と言う刑事がロウバイしました。夫れで午後から裏の別棟になつている小使室へ連れて行き又鉄砲をしよわせスワツタヒザの間へ木を入れヒザをヒドイ事しました。あまりいたいのでヒザをくづすと横面を二人でナグリツキタオしました。頭がヒバチの角に当りキズが出来ました。耳ははれてきこえなくなり顔はユガミ、イキタ心地がない位でした。二十四日の午前十時頃より二十五日の夕方迄喰はずのまずでせめられました。私は老人ですから拷問にたえられませぬのでウソを申して拷問を許して貰らいました。検察庁へ行く時身体がイタクてあるけない位でした。検事の処で否認したらかえつてからドンナヒドイ事をするか知れぬと呉れ呉れ言いました。私は恐ろしいので記名母印は致しましたが絶対に身にオボエがない事故裁きの時に判事さんに事実を申上げれば判明する事と信じていました。警察へかえつてから又調べられました。身にオボヘがないので又否認しました。ナグツタリケツタリします。衛三郎の調書を持つて来て読んでは衛三郎がコウ言つとる、衛三郎はウソは言はぬ、本当の事を言はねば又鉄砲しよわせるとナグツタリケツタリ否認は絶対に通さぬと言つて誘導尋問をしました。私は身にオボヘのない事ですから口惜しくて時々否認しましたがどうしても否認は通してくれずナグツタリケツタリしますので刑事の言う通りソノ通りですと申すより仕方ありませぬ。検事も判事も警察の拷問を否認し私の申立や三男輝夫の証言を無視して無実の罪を負はされました。私は絶対に服する事は出来ませぬので控訴致しました。

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